真田丸に驚きの発見!!
古文書の事実!
大河ドラマ「真田丸」に登場する武将、塙団右衛門の末裔が京都丹波にいた!
文献によると、子孫は島根県桜井家が有力な事実である。
しかし、当家14代目にあたると言うH氏(ロンドン在住)から不出の「古文書」として写しを頂戴した・・・日本女子大の先生が解読されている。
古文書を読み進めてみた。大坂夏の陣から起算して年代的には合致する。
当時井尻村には、塙氏以外に3氏しかなく今も続いている。同じく豊臣方であったのではないか。必要あればいつでも出陣できるよう身を隠していたと推測される。
また、家紋がふたつあって、ひとつは豊臣家紋をあしらったもので、近くの菩提寺に刺繍された右近布があるようだ。
塙団右衛門のご子息は母方の桜井家を名乗り島根県奥出雲に移り住んだ。娘は伊達政宗の側室となった。と文献にある。奥出雲は、松本清張の有名な推理小説に出てくる亀嵩があるところである。
では、丹波に身を隠したのは誰なのか? 実はもう一人子息がいたのである。
不思議なことに、井尻村と奥出雲とは緯度が35度10分と全く同じなのである。これは何を意味するのか?
塙団右衛門は真田幸村(信繁)と同い年と言われ、豊臣家の家臣として戦友であった。
千葉県には塙城という城跡が数か所あり、塙団右衛門の城であったとの説がある。その中に35度10分があれば団右衛門の居城の可能性がある。
点が一線上に並ぶ、まさに「点と線」である。実に興味深いことになる。
「丹波井尻村の記録」 この中に、
塙氏 先祖ハ大坂陣ニ立シ塙団右衛門ト云ウ者ノ子孫也定紋ハ山形ニ三ツ星也、、、とある。
赤地地蔵堂の塙石
昔この近くに栄えていた街道がありましたが、巨石が通行を妨げていました。ある日のこと、屈強な武士がこの巨石を抱えて地蔵堂の脇に移し立ち去りました。
後にこの武士が塙団右衛門とわかり、巨石を「塙石」と名付け今に伝わっています。